長く、楽しく、研究を続けるコツ

世の中には数多くの研究者がいる。素晴らしい研究者がたくさんいる。そんな人たちと比べて、私はとても小さな存在だと思う。しかし幸いなことに、楽しく研究を続けられている。そこでここでは若手研究者の方のために、長く、楽しく、研究を続けるコツ(らしきもの)を書いてみる。私はマーケティング領域の研究者だが、経営学以外の研究者にもある程度あてはまるのではないかと思う。

落とし穴に気をつけよう

ずいぶん前になるが、ある尊敬する先生から、「研究者がダメになるとき」というお話を聞いたことがある。その先生自身も、先輩研究者から聞いた話しだとおっしゃっていたが、研究者は3つのタイミングでダメになるそうである。1つ目は就職したとき、つまり大学教員になれたとき、2つ目は結婚したとき、そして3つ目は子供が生まれたときだそうだ。この話を聞いた当時、私は娘が生まれたばかりで、「もう、研究なんてどうでもいいやぁ」と毎日思っていたので、どきっとしたのを覚えている。

私自身はこれとは別に、「研究者をダメにする落とし穴」が2つあると思っている。事情通になることと、実務家に寄り添うことだ。

事情通になる

1つ目の落とし穴は「事情通になる」ことである。多くの研究者が実感するように、研究活動を続けていくと、その分野に詳しくなる。先行研究に詳しくなったり、あるいは企業の事例にも詳しくなる。正直なところ、これはとても心地よい。自分の知識が増えていくことで自分自身が広がったような気持ちになるし、世の中が分かった気持ちになる。きっと誰にでもあてはまるはずだ。

事情通になると、メディアに持てはやされることもある。ニュース番組から取材を受ける研究者は、たいがい「ナントカに詳しい、ナントカ教授」である。「コンビニ業界に詳しい、ナントカ教授」「航空業界に詳しい、ナントカ教授」あるいは「消費者心理に詳しい、ナントカ教授」…… そういった人たちが、テレビや雑誌に登場する。私も側から見ていて、「かっこいいなぁ」と思う。

しかし、事情通というのは虚しい存在かもしれない。事情通は自分で何かを生み出している人ではないからである。「世の中に詳しい」ことと、「自分で何かを考えたり、表現する」ことは、同じではない。あたり前だが、私たち研究者が目指しているのは「物知り博士」ではないはずだ。そう考えると、事情通を目指すのは控えた方が良さそうである。

実務家に寄り添う

もう1つの落とし穴は「実務家に寄り添う」ことである。かつて、とても有名なマーケティングの先生が、「実務家にとって大切なことは、たいがい研究者には大切でない」とおっしゃっていた。どうやら「実務家が悩んでいることや、困っていることのほとんどは、すでに(マーケティングの定番である)コトラー教授のテキストに書いてある」ということのようだった。

いくら実務家が「いままでにない、新たな大問題だ!」と主張しても、結局のところ少し抽象的に考えれば、これまで何度も何度も議論されてきた問題、たとえばセグメンテーションの技法であったり、新製品開発プロセスにおけるファジー・フロント・エンドだったり…… ようするに、大半は既知の問題にすぎないので、研究者はそんなことに関わってはいけない、というお話しだったと思う。

この「実務家にとって大切なことは、研究者にとって、たいがい大切なことではない」という話だが、実は実務家と太いパイプを持つ「大先生」の指摘だったので、初めて聞いたときはちょっと意外な感じがした。しかし、確かに正論だと思った。

誤解を招かないように補足しておけば、実務家から事例を学んだり、彼らの行動を注意深く観察したり、あるいは共同研究をするのは素晴らしいことである。しかし実務家に寄り添って、彼らの日々の悩みを解決しても、ほとんどの場合、コトラー教授のテキスト以上のことは得られないのだろう。

若い研究者の方には、ぜひこれら「研究者をダメにする落とし穴」に気をつけて欲しいと思う。事情通に甘んじず、実務家に寄り添うことなく、研究を続けようというわけだ。

楽しく研究を続けていくためのコツ

さてネガティブな話ばかりではつまらないので、今度はポジティブな話を書こう。研究者が、長く、そして楽しく活動を続けていくためには、小さなコツが3つあると思っている。

「びっくり」と「なるほど」を見つけよう

1つ目は「『びっくり』と『なるほど』を見つけよう」ということである。かつて、やはりある著名なマーケティングの先生から、「あたりまえのことを、きちんと行える企業が強い」と聞いたことがある。恐らくここで大切なのは、「ありふれたこと」を行うでのではなく、「あたりまえのこと」を行うということだろう。

「あたりまえのこと」というのは、自然で、理にかなっていることである。逆に、理にかなっていないことを無理やり行おうとすると、どうしても歪みが生じて失敗する。つまり、「あたりまえのことを、きちんと行える企業が強い」というのは、「大成功している企業や組織が行っていることは、たいがい理にかなっている」という意味だ。

同じような話を、ある広告クリエーターからも聞いたことがある。彼は「良いクリエーティブには、だいたい『びっくり』と『なるほど』が含まれている」と語っていた。優れた広告表現は、消費者がびっくりするほどのインパクトと、なるほどと思える説明力の両方を兼ね備えているというわけである。

これは研究活動でも同じだと思う。優れた論文や研究の主張は、きわめて斬新であるにもかかわらず、そのロジックやメカニズムに無理がない。逆に「これはどうなんだろう」と疑問に思う論文や研究には、どこか辻褄の合わない部分が含まれている。つまり主張に不自然な部分があるわけだ。

おそらく私たちが目指すべきは、斬新でありながら、背後にあるロジックやメカニズムに無理がない研究であろう。それまでに聞いたことがないユニークな内容でありながら、自然で無理のない説明ができたらば最高だ。これが「『びっくり』と『なるほど』をみつけよう」ということである。ぜひ試してみて欲しい。

グランドテーマを持とう

私は大学院生の時に、恩師である宮澤永光先生から、「久保田くん、研究者になるなら、グランドテーマを持たなくてはだめだ」といわれた。何年か研究を続けていくと実感できるが、研究のテーマは、誰でも、段々と変わって行く。それは自分の関心が変化したからかもしれないし、あるいは社会が変化したからかもしれない。いずれにしても、新しいテーマに取り組むことは楽しいことだし、研究者としての厚みも増すだろう。しかし私は、新しいテーマに取り組むときに、恩師の教えであるグランドテーマを意識することが、とても大切だと思っている。

夜、空を眺めると、いくつもの星が見える。そして星と星が組み合わさって、星座に見える。でも星座に見えるのは、星と星が離れているからだ。星と星が離れているからこそ、かたちが生まれる。同じところに星が固まっていては、星座にはならない。それでは星と星が、ものすごく離れていたら、どうだろう。あまりに離れすぎていても、星座にはならない。

研究も同じではないだろうか。ずっと同じことを繰り返すのではなく、少しづつ少しづつテーマをずらしていくことで、より大きな主張ができるようになる。しかし、あまりにかけ離れたテーマに取り組んでしまうと、1つのかたちにまとまらなくなってしまう。もし素晴らしい星座を作りたいなら、離れすぎないところに、新しい星を置いていく必要があるはずである。星と星がまとまりを持って見えるように、工夫する必要があるわけだ。

そのときに役立つのが、グランドテーマである。グランドテーマをしっかり持っていれば、研究と研究が、自然と結びついてくるはずである。ぜひ、グランドテーマを持とう。

何のために研究するか

最後は動機づけの話であり、何のために研究するかという話である。最近、ちょっとしたきっかけで、NHKのプロデューサーと授業を行うことになった。彼は、報道番組を専門とするチーフ・プロデューサーで、先日までプライム・タイムのニュース番組を制作していた。

しかし実は私は、授業の準備に取り掛かるまで、あまり乗り気ではなかった。というのも、ジャーナリストというのは、私たちのようなアカデミシャンと正反対の世界に住んでいると考えていたからである。研究者が長い時間をかけて緻密に現象を分析していくのに対して、ジャーナリストは瞬間的に表面的なことを語るといった印象を持っており、話もあまり合わないだろうと思っていた。しかし、彼と何度もやりとりをするうちに、私たち研究者と同じ視点を持っていることに気づかされた。

世の中にはいろいろな仕事があって、みな、それぞれ異なる動機づけで、取り組んでいる。たとえば、世の中には「お金が欲しい」という動機で働いている人がいる。多くのビジネス・パーソンがそうだろう。ビジネスの主要な目的はお金を得ることであり、ビジネス・パーソンはより多くのお金を得るために工夫を重ねている。もちろん、それは素晴らしいことである。あるいは「人を楽しませたい」という動機で働いている人もいる。エンターテイナーとよばれる人がそうだろう。「自分の限界に挑みたい」という動機で働いている人もいる。アスリートやプロ棋士などは、そういう人だと思う。さらに「人々を助けたい」という動機で働いている人もいる。私の本務校である青山学院大学であれば、牧師の先生方はそうした目的で働いている。

さて私は、いまでは大切な友人となったそのプロデューサーと何度もやりとりをしていくうちに、ジャーナリストと研究者は、どうやら同じ動機づけで働いているということに気づいた。それは「真実を知りたい」という動機づけである。もちろん、いま起きている物事の真実を知りたいというジャーナリストと、世の中の普遍的な真実を知りたいと思う研究者では、その活動がまったく違う。しかし、じっくり語り合ってみると、結局、同じような視点を持っていることに気づかされたのである。

この文章を読んでくださっている若手研究者の方々は、研究テーマも、アプローチも、きっと様々だろう。しかし誰もが「真実を知りたい」という動機づけで、研究に取り組んでいるのではないだろうか。アプローチはさまざまだが、どの研究者も自分が関心を抱いている対象について「真実を知りたい」と思っているはずである。そしてだからこそ研究者という人間は、専門領域が違っても1つにまとまることができるのである。

私はこの「真実を知りたい」という動機づけを、とても大切だと思っている。そして「真実を知りたい」という気持ちを大切にすることは、いつまでも研究を続けるために、なくてはならない原動力になると思っている。

若手研究者の方々が、研究を長く、そして楽しく続けるための、コツをいくつか書いてきた。「びっくり」と「なるほど」をみつけよう、グランドテーマを持とう、そして「真実を知りたい」という気持ちを大切にしよう…… どれも今日からできることだと思う。

(本稿は2020年10月25日に行われた日本消費者行動研究学会コンファレンス会長講演の内容を加筆修正したものである)