リキッド消費

マーケティングにおける重要な要素の1つに「市場」がある。マーケティングでは市場を、顕在的および潜在的な顧客の集合と考える。つまり、いま買ってくれている人たちと、これから買ってくれるかもしれない人たちの集まりのことである。

市場や顧客は常に変化する。毎年いろいろな流行が生じるし、話題も移り変わる。マーケティングに戦略的に取り組むうえで大切なのは、具体的に何が変わったかという個別的な議論だけにとらわれず、消費スタイルの「大きな変化」に気づくことだ。注意深く世の中を観察していると、消費スタイルの大きな変化がみえてくる。

その瞬間を楽しむタイプの消費

消費のスタイルはどのように変わってきたのだろう。すべてをひとことで語るのは難しいが、多くの消費者がこれまで以上に「即時的な満足」を求めるようになってきた点は見逃せない。「その瞬間を楽しむタイプの消費」が目立つようになってきたのである。

欲しいものを欲しいときに手に入れたいという欲求は、おそらく人類が太古から抱いてきたものである。デジタル化、流通ネットワークの発展、あるいはグローバル化といった、社会変化や技術発展によって、こうした欲求が容易に実現できるようになると、いつの間にか、じっくりと時間をかけてブランドを選択したり、あるいはそれらを使用したり利用するために手間や努力を費やすことが、好まれなくなってきた。「速さ」と「手軽さ」が求められるようになったわけである。

「その瞬間を楽しむタイプの消費」が目立つようになってきたことは、研究者によっても指摘されている。たとえば川口(2018)は現代マーケティングで重視されている経験的消費の本質を「即時的に促される満足から得られる価値」(p. 114)だと指摘し、今日多くの消費者は、いわゆるサプライズ経験(しかもその多くは企業によって仕組まれた人工的な経験)によって「予測不能な衝動的満足」(p. 115)が得られることに価値を感じるようになってきたと論じている。また南田(2018)は、インターネットの中に「歌ってみた・・」や「踊ってみた・・」という即席型の投稿が氾濫していることを指摘し、「現代の文化にまつわるムーブメントは、一緒になって瞬間的に盛り上がる集合的沸騰の形式で現れる」(p. 185)ことが多く、「短命で、また時空間として非常に拡散した場所で起こる」(p. 186)傾向にあると述べている。

simpleとeasy

すでに述べたように、「その瞬間を楽しむタイプの消費」が実現されるには「速さ」だけでなく「手軽さ」がポイントになる。即時的に満足を得るには、それが容易に実現できなくてはならないからである。消費者が手軽さを求める傾向は、ここ10年くらい見られる「シンプル」という言葉の流行と関連しているように思う。世の中を見渡すと、シンプルな物、行動、考えを良しとする声が多い。

興味深いことに、そこにおけるシンプルは、しばしば「簡潔な」(複雑でない)というよりも、「簡単な」(容易な)という意味で用いられているようである。多くの消費者が求めているのは、simpleというよりもeasyという言葉に近いかもしれない。日常生活のさまざまなことがスマートフォンだけで簡単に実現できるようになってきたいま、いつの間にか私たちは、努力や労力が必要となることを避け、手軽で簡単にできることを選びがちになってきた。

速度・変化・手軽さ

「その瞬間を楽しむタイプの消費」を理解するには、「速さ」と「手軽さ」に加えて、もう1つ忘れてはならないことがある。消費者は、ある消費対象から他の消費対象へと、短時間で「移る」ようになってきた。

かつてCDやDVDの時代、私たちは数十分から、ときには2時間近くにわたり、特定のコンテンツを消費してきた。いまでは音楽も動画も配信サービスで聴いたり観たりすることが多いが、同じアーティストの作品を10曲続けて聴いたり、1時間続けて観たりすることは少ないだろう。消費者は、数分ごとに新しいコンテンツに「移って」いく。

同じような現象は、物財でも生じている。『COURRiER Japon』(web版)はイギリスの慈善団体「バルナルド」(Barnardo’s)による2015年の調査結果として、今日では「一着の服は平均して7回着用されると捨てられていた」と報告している。彼らの報告が正しければ、いまや衣料は「7回着たらゴミ箱行き」なのである。もちろん古い服を捨てれば新しい服を買う。消費者は次から次へ新しい服に「移って」いく。

それでは次から次へと移るには何が大切か。答えは「手軽さ」である。それまでの消費対象から簡単に離れることができ、新しい消費対象を簡単に利用し始められる、手軽さである。

こうして考えると、その瞬間を楽しむタイプの消費を理解する鍵は、「速さ」と「変化」と「手軽さ」であることがわかる。また欲しいものを、欲しいときに、簡単に手に入れられることで感じられる「心地よさ」も見逃せない。

その瞬間を楽しむタイプの消費者は、できるだけ時間や労力をかけず、手早く満足を得ようとする。また分かりやすいものを好む。「移り気」で「気まぐれ」な消費者は、新しい消費現象を生み出しつつある。